「トカラ列島へ」屋久島の南から奄美の北西まで、実に160km以上に渡って連なる島々、それがトカラ列島だ。
口之島、中之島、諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島の有人七島と、臥蛇島、小臥蛇島、小島、上ノ根島、横当島の無人五島からなる十島村は日本で一番長行政区だ。

日本書紀に吐火羅と記載されていたのが語源のようだ。(諸説あり)
吐火羅とは吐火で火を吐く、つまり火山を表し、羅は連なるという意味であるから、「火山が連なる」という意味に解釈でき、この列島のイメージにピッタリくるように思う。
平家の落人伝説や薩摩、琉球の争い、戦後の北緯30度(口之島の北部)以南のアメリカによる分断、本土復帰など実に興味深い歴史を持つ。
生物学的にも悪石島と宝島の間に分布境界線があり本土と南西諸島の生物的境界線で南限北限の生物が入り乱れる面白いエリアだ。

黒潮が洗う海は常にうねりが高く航海の難所としても有名。
そう、ここは歴史、自然、黒潮を巡る冒険というDiscovery Cruise3大要素を完璧に備えている。
来年はいよいよ、この長~い島々を全て巡って潜ろう!
という7日間のクルーズ(4月)と枕崎ー奄美の往復クルーズ(11月)を企画している。
2020スケジュールツアーガイドとして、海だけでなく、歴史的背景や文化、風俗、生活、自然環境、、、
様々な視点で島を紹介するのが僕の仕事。
来年のクルーズの下準備として未だ未踏の悪石島と宝島の魅力を探るべく、フェリーとしまに乗り込んだ。
「日本の集落の原風景、悪石島を歩く。」夜の鹿児島港を出港して10時間。
見慣れた中之島や諏訪之瀬島が後方に霞んでいく頃、前方に悪石と名のつく、文字通りゴツゴツした岩に囲まれた島が見えてくる。


普段は月金の週2便しか出ないフェリーとしまだが、月に一度だけ水曜日に臨時便が出る週がある。
この週を選べば平日5日間で効率よく3つの島を巡ることができる。
視察に行くなら12月のこのタイミングしかない、そう思ったのは先月末のこと。
しかしこの突発的視察計画はのっけから暗礁に乗り上げる、、、
電気、道路、港湾設備などの工事が重なり島の民宿は全て満室。
研修センターも満室で、それでも入りきれない作業関係者は公民館に泊まっているらしい。
それでもどうしてもこの機会に訪れたかった悪石島。
ダイビング中港に寄ったことはあるけれど、泊まってみないと島のことは何もわからない。
役場の方に無理を言って(御免なさい)コミュニティセンターの一角に畳とマットを敷いて泊めさせて頂くことになった。
ステージまである広い集会所的な空間にポツンと畳。
今まで泊まった部屋の中で一番広かったかな(笑)
でも寝袋も簡単な調理器具も持って来てたので実に快適に過ごすことができた。
おまけに港の送迎までしていただいて、本当に感謝です。
でもここに島の観光ツアーの難しい問題が潜んでいる、と僕は思う。
トカラ列島は各島に4つから5つ民宿があるが、泊まれる人数は10人前後という小さな宿が多い。
例えば2〜30人くらい本土からやって来る、という小規模の工事でも、各宿に4、5人づつ工事関係者が入れば満室ではないけど団体客の受け入れは無理、という状況になってしまう。
宿の経営を考えれば年に数回、ピンポイントで泊まりに来る観光客よりも、長期滞在してくれる工事関係者4、5人を泊める方がはるかに効率的だろう。
団体観光客で1日、2日満室になったとしても、その為に1ヶ月滞在してくれる工事関係者を断る羽目になるかもしれないというリスクを宿の経営者としては当然考えるだろう。
実際、島で話を聞いたうち3件の民宿ではそんな先の団体の予約はちょっと無理です、直前で空きがあればいいんですけど、、、とやんわり断られた。
インターネットで世界中どこでも、1年前からでもホテルの予約が取れるのが当たり前になっている昨今の観光旅行事情からすると、特に我々のように団体で、とは言っても8名から10名程度だけど、を計画する業者としては、泊まれるか泊まれないかギリギリまでわかんない、なんて島への旅行は普通計画しない。
こんな調子では島を訪れる観光客はごく少人数の個人客だけになるだろう。
そういう状況が続けば、観光客は一向に増えないし、やっぱあてにできないな〜、と、ますます工事関係者頼みとなっていくだろうな。
離島観光の負のスパイラルだと思うんだけど、こればっかりは僕の力ではどうにもならない。
いっそ船に泊まれるようにするか、なんて思うけど、そうなると島の経済に全く貢献できなくなってしまうし、、、
今じゃなくて未来に向けて、島の子供達が将来島で誇りを持って生活する為にも、公共工事引っ張ってくるのも大事なんだろうけど、観光など島が主体となれる産業構築に投資するのも大事だと思うんだけどな〜
ちょっと脱線してしまったからもう少しだけ。
僕はこのクルーズ企画で一番重要なのは、観光客の事をきちんと考えてくれている宿との信頼関係だと思っている。
今までこんなにスムーズに運営して来れたのは硫黄島の本田旅館さん、口之島の民宿中村さん、中之島の海游倶楽部さんがいつも臨機応変に対応してくれているからだ。
ピンポイントの予約で、おまけに天候にも左右される我々を理解し受け入れてくれる宿がなければこのクルーズは成立しない。
そんな宿の信頼に応えられるように僕らは頑張るんだけど、そんな信頼関係は電話やネットで構築できるはずもなく、やはり自分で足を運んで、お酒飲んで話をして、やっと第一歩を踏み出せる。
自分の肌で感じる為に、島へ行くのだ。
<悪石島memo>トカラ列島の真ん中あたりに位置する周囲12kmの島。
人口は約70人。
島にたどり着いた平家の落ち武者たちが追っ手が近づかないように恐ろしげな名前をつけた(諸説あり)、という断崖絶壁と原生林に覆われた野性味あふれる島だ。
旧暦のお盆の最終日に登場する3体のボゼ神は日本を代表する仮面神として、硫黄島のメンドン、青森のナマハゲと共にユネスコ世界無形文化遺産に登録されている。
船の荷役を行う島の男性たちは「悪」マークのヘルメットと背中に大きく「悪」の文字が入ったツナギを着ているため、「悪の組織の島」などと時たまSNSを賑わしているが、皆さんとてもフレンドリーで優しいです。


到着したら荷物を置いて寝床を作っていつものように散歩に出かける。
悪石島の集落のほとんどは島の南西部の高台に集中している。

集落の入りくんだ小道を歩いていると、ふと、子供の頃よく歩いた大分の田舎、海沿いの山の斜面にあった祖父母の集落を思い出した。
この懐かしさ、というか心落ち着く感覚は他の島では感じたことがない。

よく手入れされ、ゴミひとつ落ちていない路地、石垣を彩る草花、お地蔵様、鳥居、墓地。
そこかしこに宿る神の島の厳かな空気感。
そしてそんな風景に溶け込むように佇む家々。
写真を撮るのも忘れてしまうゆったりとした時間が流れる。
まるでタイムスリップしたような錯覚を、時折聞こえてくる三味線の音色や、色鮮やかなハイビスカスの花が引き戻してくれた。

港までの長い坂を下るとトカラツアーでは欠かせない島の温泉に辿り着く。
海中温泉はタイミングが合わず、砂蒸し風呂は工事中で入れずで残念だったけど、洗い場も広くて快適な内湯を満喫。

温泉のすぐ近くにビロウやガジュマルに覆われた森林遊歩道がある。
一歩足を踏み入れるとそこはまるで植物園の熱帯ゾーンか!という雰囲気。



この島にみんなできたときのことを想像しながら、夕方までひたすら歩き回る。
今回の視察は本当に素晴らしい出会いの連続だったけど、この悪石島でも素敵な方との出会いがありました。
集落散歩で最初に向かったのが、役場の方から「今度新しく民宿始める方がいますよ。」って聞いたお宅。
ちょっと覗いてみたけど忙しそうに作業されていたので一旦通り過ぎたのだけど、、、
なんというか、その後ろ姿がなんか僕の心に「ここ」だろ?って伝えた。
引き返して声をかけた。
快く家に招き入れてくれて、お茶と島のおやつを振る舞ってくれたのは有川さんご夫婦。
ご主人はボゼ保存会会長で、奥様は十島村出身者で初めて看護師になって島の医療に尽力された方だった。


「夜、遊びにおいで。」
そう声をかけて頂いたので準備していたら、わざわざ車で迎えに来てくれた。
ほんと、島の方はみなさん優しいな。
お酒を飲みながら、島の歴史や自然の事、ボゼの事、ネーシという島のシャーマン的存在の事、入道先生の事、平家のこと、島の仏教や神道のこと、、、
いろんなお話を聞けた。
僕が旅に求めている時間がまさにここにあったのだ。
この空間でゲストと、お二人と語らう夜を想像する。
きっと楽しいだろうな。
古き良き日本の集落、悪石島。
古語は辺境に残る、という方言周圏論という考えがあるが、
同じことが文化や風俗、風習にも言えるのではないだろうか?
この島の集落の美しさ、ボゼなどの祭祀、神や仏を大事にする文化、、、
古き良き日本人集落の原風景も、古語と同じように辺境に残っているのかもしれない。
そんなことを考えながら、この島を後にした。


〜宝島編に続く〜
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黒潮ガイド 木村尚之
薩南&トカラDiscovery Cruise
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